天才シェフとしていくつものお店を持っていることで知られている三國清三さん。
現在68歳(2023年6月時点)の三國清三さんですが、経歴はどうなっているのでしょうか?
また、お嫁さんはどんな方なのでしょうか?
そこで、今回この記事では
- 三國清三さんの経歴は?
- 三國清三さんのお嫁さんは敏腕美人マダム?
主にこの2つのことを追っていきます。
調べてみたら、三國清三さんの経歴は華々しいものだけではなく、下積み時代が大変であったので、
ぜひ最後まで読んでいってください!
では、本題に入っていきます!
三國清三の経歴は?
- 1954年北海道増毛町に生まれる。
- 15歳の時に米屋で働き始める。働きながら夜間調理師学校に通う。
- 夜間調理師学校卒業後、札幌グランドホテルで働き始める。
- 18歳で東京帝国ホテルで働き始める。
- 20歳の時に駐スイス日本大使館料理長に就任する。
- 「ジラルデ」、「トロワグロ」、「アラン・シャペル」など7つの三ツ星レストランで修業を重ねる。
- 帰国後の30歳の時に東京・四ッ谷に自身がオーナーシェフの「オテル・ドゥ・ミクニ」を開店する。
- 53歳の時に厚生労働省より卓越した技能者「現代の名工」として表彰される。
- 56歳の時にフランス共和国農事功労章オフィシエを受勲する。 and more・・・
中学校卒業後、米屋で働き始める
米屋の娘が作ったひと皿のハンバーグから、彼の人生は始まる。
「そんな食べ物を見るのは生まれて初めてだから、何だかわからないわけです。こわごわ箸を伸ばしたら、こんな旨いものが世の中にあったのかと(笑)。恥ずかしながら聞きました。『何て料理だべ?』って」
ハンバーグが自分の人生を決めたと言って三國は笑う。米屋は夜学に通わせてくれた。
引用元:GOETHE
お米屋さんで丁稚奉公している時に、その米屋さんの娘さんにハンバーグを作ってもらったそうです。
それが、この世のものとは思えないほど美味しいものであったらしく、その時に三國清三さんの人生が決まったのだとか。
料理人になるきっかけのエピソードも伝説級ですね。
札幌グランドホテル時代
「責任者が来るまで隠れて、飛びだして直談判したの。働かせてくださいって。呆れられたけど、切々と訴えたら、パートなら飯炊きのおばちゃんがひとり辞めたとこで空きがあると。従業員用の飯炊きだから、厨房に立てるわけじゃないんだけどさ」
半年夢中で皿や鍋を洗い続けたら、特例で正社員にしてくれた。寮の部屋に帰らず、厨房で朝までオムレツを作り、肉を焼く練習をした。休みの日は鶏肉工場で鶏を捌いた。18歳になる頃にはレストランの料理で作れないものはなくなっていた。
引用元:GOETHE
華々しい経歴だと思っていたら、しっかりと下積み時代に苦労をなさっていました。
無我夢中のレベルが一般人とは違いますね。ここまで努力の天才だとも言えるかもしれません。
東京帝国ホテル時代
2年間皿洗いを続けても、社員への道は開かれなかった。8月10日の二十歳の誕生日に、今年いっぱい働いて増毛に帰ろうと決める。そしてその日から毎日、ホテル内のレストランの厨房を回って鍋を洗った。
引用元:GOETHE
東京帝国ホテル時代も下働きからスタートしていますね。しかも、今回は正社員ですらなかったというから驚きです。
3ヶ月後に奇跡が起きた。
「10月末、村上総料理長に呼ばれてね。『スイスに赴任する大使が専属の料理人を探している』って仰るわけですよ。『君を推薦したからな』って」
引用元:GOETHE
ここから、三國清三さんの快進撃が始まっていきます!いきなり下働きから駐スイス日本大使館料理長に昇格するというエピソードも豪快です!
三ツ星レストランでの修業時代
「ある朝、働かせてくれって押しかけた。門前払いされたんだけど、店の表に夕方まで立っていたら、ジラルデさんが『客の邪魔だ』って、襟髪を摑まれて厨房に押しこまれた。洗い場を見たら、汚れた食器が山になってあるわけ。しめたと(笑)。食器を全部洗ってたらジラルデさんがやってきて、困った顔で『お前はどうしたいんだ』と」
引用元:GOETHE
ここでもまた、皿洗いからスタートしています。キャリアのスタートは皿洗いから始めることが三國清三さんには当たり前なのでしょうか?
オテル・ドゥ・ミクニを開業
30歳で天才料理人と言われ、時代の先端を走ってきた三國清三さんですが、今までも触れていた通り、
決して楽な道ではなかったと思います。詳しくは語られていませんが、ここでも苦労はなさっていたと思います。
新たな挑戦
レストランのオーナーシェフだけでなく、新たな挑戦もしているとのこと。
それは、子供の食育活動とスローフード活動です!
子供の食育も、店の休日に20年続けてる。増毛時代、時化の後、親父とよく海岸に打ち上げられた魚を拾いに行った。食べるためにね。必ずほやがある。そのほやが僕の味覚を育てた。ほやには五味、甘酸塩苦旨すべての味があるから。今の子は恵まれてるけど味覚が育ってない。なら、それを伝えるのが僕の使命。
引用元:GOETHE
今の子供は画一的な味しかないものを食べているので、味覚が育っていないとのこと。それを改善することが三國清三さんの使命だと考えているようです。
1985年頃にフランスの学者が、12歳頃までに甘い、しょっぱい、酸っぱい、苦い(四味)を教わっていない子は、大人になって我が子を簡単に虐待したりする、また、親に叱られるとバットで殴り返して親を傷つけたりしてしまうという現象が起きると予言しました。
引用元:畜産産業振興機構
それを受けて、イタリアやフランスのシェフたちが、それはもうそういう国になったらおぞましい、そんな国は滅びてしまうということで、彼らが立ち上がり、スローフード運動が起こりました。
つまり、子供の味覚を磨いていなかいと、国力がどんどん下がっていってしまうということでしょうか。
このままではいかんということで、三國清三さんが立ち上がったということです。
三國清三の嫁は敏腕美人マダム?
三國清三さんのお嫁さんは三國久美子さんと言い、「オテル・ドゥ・ミクニ」にて25年間接客をしてきました。
レストランのマダムといえば、サービスの一切を取り持つ責任者というのが適当かもしれません。
時を経て嫁ぎ先がレストランということもあり
もてなされる側ともてなす側の融合があってこそ、
はじめて一席の意味があることも深く感じました。
引用元:About Kumiko Mikuni
「オテル・ドゥ・ミクニ」の接客の経験を活かし、今は合同会社Tenの代表として、
西洋家庭料理研究家やフードコーディネーター、コンサルトなど多方面で活躍されているようです。
さいごに
今回は三國清三さんに着目して、経歴とお嫁さんについてお伝えさせていただきました。
経歴はレストラン中の鍋を洗って回るという下積み時代が壮絶であったことがわかりました。
また、お嫁さんは三國清三さんのレストランのマダムだけでなく、西洋研究家として活躍されているということでした。
いずれにしても、三國清三さんには家族と末長く仲良くしていってほしいと思います。
お仕事でも更なるご活躍をテレビやSNSで拝見できるのを楽しみにしています!
それでは、また!
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